前回までのあらすじ。移民局に連れて行かれてその後しばらく日常を過ごしているのでした。そんなある日・・・
一本の電話
しばらくなんの返答もなく1ヶ月くらい過ごしていて、銀行で並んでいる時でした。急に知らない電話がかかってきました。
難しいこと言われ細かいところは聞き取れませんでしたが、大事なところだけは理解できました。
「すぐに台湾から出てください。3年間入国禁止です。」
………………………
まじで?!
心臓の心拍数が上がり、パニックになったのを覚えています。すぐにボスに連絡し、かかってきた番号にかけてもらうことに。ボスから折り返しもらう前に色んなことが脳内をよぎりました。
せっかくお店始まったばっかりなのにもう終わり?せっかくこれからなのに?台湾でできた友達は?
もう小籠包食えん?!火鍋は?!ジーローファンは?!俺の台湾美女たちは??!!
色々不安なことを考えているうちにボスから連絡が。とりあえず移民局に直接交渉してみるからもう少し待っててと。
再び移民局へ
そこから何日もボス達が移民局と話し合いを行うことに。しばらくしていたら多少移民局との関係もよくなったらしく、移民局の方から一つ光明が。
裏技で海外行ってその日のうちに戻って来れば処理が追いつかず入ってこれてしばらくなんとかなると思うよ、と移民局の人から情報あり。藁にもすがる思いで、日帰りフィリピン旅行に行くことに。
フィリピン日帰り
色々あったが
その時ホテルで食べたしゃぶしゃぶが
クソまずかった話
と
フィリピン人に追っかけられた話
はまた別の話。
とりあえず帰りにフィリピンのニノイアキノ空港に到着し、台湾に帰ることになりました。本当に帰れるのかという疑問もあり不安な気持ちをかかえていましたが、なんの問題もなくすんなり台湾に戻れることに。
いけるやんと思いまたみんなと合流。僕がフィリピンでクソまずいしゃぶしゃぶを食べている頃にもボス達は動いてくれていたらしく、移民局の人と話をしていたらしい。
その後
今後もこの日帰り海外ツアーで行けるのかという話をしていたのですが、最終的な判断は移民局ではなくその上の労働局というところが決めるらしく移民局ではわかりかねるらしい。
労働局の方に問い合わせするが、電話をたらい回しにされ、決定権がある人まで辿り着けず、ということでした。
決断
色々な話を聞きいつまでも日帰り海外旅行でどうにかなるとも思えず、これ以上店にもみんなにも迷惑はかけれないと思い僕は決断することに。
「日本に帰ります」と告げた瞬間本当に台湾生活終わるんだと思って悲しくなりました。その後数日して店と個人の罰金を課す封書が届き、正式に3年入国禁止である旨が記載されていました。
2週間以内に出国となっていましたが、そこは移民局との掛け合いで1ヶ月くらいに伸びて日本に帰る支度をすることに。
移民局の人の話によると過去にも同じようなケースであれば入国禁止が1年が妥当ということであったがケースによって年数は違うとのことで同じケースで3年も出禁になったのは10年ぶりらしい。
10年に一度の逸材
と今まで言われてきたが、何に対しての逸材かは言われておらず、
まさかこのことであったとは。
残された台湾生活
出禁が決まったあとは仕事らしい仕事も特にせず、残った台湾生活を満喫する様に飲んだり食ったり友達と会ったりしてました。
最後の日みんなで飲みに行った時なんか無性に悲しくて泣いてしまいました。台湾好きだったんだなと思いました。
泥酔状態で飛行機に乗り、席に着いた瞬間眠りに入り台湾生活に終止符を打つことになりました。さらば台湾。ありがとう台湾。
今後の展望
2022年10月現在すでに3年の入国禁止期間終わり来年あたりコロナの入国制限などもほぼなくなったので再度台湾にいこうと考えています。無事入国できるのか
ゴミ収集車の音聞いたら泣きそう。
ひとまずそんな経緯ので記録として書いてみました。何か参考にする人は参考にー。終わり
追記:副ボスは速攻結婚したので台湾いていいことになり今でも台湾で元気にしております。
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